
CDやDVD、あるいは電波メディアの普及した今、わざわざ出かけなくとも落語は手軽に聞けるようになりましたが、やはり臨場感や「間」が醸し出すその場の空気まで味わえる生の落語に勝るものはないでしょう。落語は、寄席で聞くのが一般的ですが、ホール落語会で聞くのもまた格別です。
寄席とは、人寄せ場の意味。江戸時代後期に同時多発的に始まったとされています。明治期には東京に大小二百軒近くの寄席があったようです。映画の中では、鈴本演芸場が登場しますが、現在、一年中落語をやっている・定席・と呼ばれる寄席は、東京に四か所あります。上野鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場です。月ごとに上旬=上席、中旬=中席、下旬=下席と分かれ、毎日昼席・夜席でそれぞれプログラムが組まれます。曜日は関係なく、このプログラムで余ってしまう三十一日も余一会といって、特別なプログラムが組まれます。駆け出しの前座から二ツ目、超ベテラン真打までが同じ番組に登場します。顔付けは、一ヵ月位前には組まれるので、寄席に問い合わせれば事前に分かりますが、誰が何を話すかは、その時のお楽しみ。とはいっても出演者の変更もよくあるようです。また、漫才や漫談、太神楽曲芸、手品、紙切りなどの色物とよばれる落語以外の演芸も番組内にちりばめられており、飽きさせない工夫がされています。
一方、ホール落語会は、みっちり落語を聞きたい場合に向いています。まず出演者ありきで、じっくり話を聞くことができます。中でも独演会は、お目当ての演者の噺をたっぷりと聞くことができます。
気軽に落語を楽しむか、聞きごたえのある噺をみっちり聞くか、特定の噺家にこだわって聞くか、落語の楽しみ方もさまざまです。

映画のなかで、柳家三三真打昇進披露の場面が出てきますが、プロの噺家になるには、入門から真打までどのような道をたどるのでしょう。現在の東京の落語界の場合、見習い、前座、二ツ目、真打という階級があります。
まず、入門したい師匠のもとへ弟子入り志願をします。手紙を書いたり、寄席から出てくる師匠を待ち伏せして、直接頼んだり。どんな方法をとるにしろ、とにかく熱意を伝えます。そしてめでたく入門を果たしたら、まず見習いとなります。住み込みだったり通いだったり、形体や内容はいろいろな場合がありますが、一般的には師匠の家で掃除など雑用をこなしたり、外出のお供をしたりしながら、修業の心構えを身につけます。それと同時にこの期間は、師匠が弟子として認めるかどうかの試用期間ともいえるかもしれません。そして、師匠に認めてもらうことが出来たら、芸名を付けてもらいます。寄席に出ることが許されると『前座』となり、ここでやっと噺家としてのスタート地点に立てるわけです。見習い時代と同じように師匠の身の回りの世話や、寄席の下働きなど、やらなければなれないことはたくさんあります。この期間の長さはもちろん個人差があります。
そして『二ツ目』になると、プロとして独り立ちするための修業の時期となります。寄席の下働きなどの雑事が減ると同時に、自分で使える時間が増えます。紋付の着物を着、高座で羽織を着ることが許されます。出囃子も自分の曲をひいてもらえるようになり、プログラムにも名前が出ます。また、前座名から改名することもできます。勉強会や落語会を開き、人間関係を作り、自分の芸を磨いていきます。
いよいよ『真打』昇進。一人前の噺家として認められます。「師匠」とよばれることになり、弟子をとることも許されます。しかし、もちろん自営業の世界。自分自身のマネージメントも大切です。厳しい世界で生き残らなければならない落語界では、真打昇進も一つのスタートラインといえます。

噺家が登場するときに必ず流れる出囃子。とはいっても東京でのその歴史は意外に新しいようです。出囃子の使用は上方からきたと言われています。小三治の出囃子が、「二上がりかっこ」であるように、今では二ツ目以上の噺家には決まった出囃子があります。
寄席で同じ番組内で二度も三度も同じ曲が演奏されるのは好ましくないので、演者ごとに個別の曲を採用しています。それでもたまには同じ出囃子の演者が同じ番組に出ることもあります。その場合、通常は格下の演者がゆずることになります。
出囃子の曲は、歌舞伎や長唄、洋楽曲までさまざまなジャンルから取り入れられています。

小三治の芸の特徴の一つともいえるのが「まくら」。まくらとは、和歌の「枕詞」同様、噺のオードブルのようなものです。人に会った時にいきなり話し始めず、当たり障りのない時候の挨拶などをする日本人の文化からすると、突然本題の噺に入るのは違和感があるのかもしれません。本来のまくらは、本題の噺を楽しむために客に予備知識を与えたり、本題に絡んだ二~三の小咄を話すというのが一般的なようで、まくらを聞いて今日の演目を想像するのも、聞き手の楽しみの一つです。しかし、特に決まり事はなく、名人とよばれた噺家にはそれぞれまくらにも特徴があります。
小三治の場合、その面白さから、いわゆる小三治ワールドともいえるまくらが成立していきました。『駐車場物語』、『玉子かけご飯』、『あの人とっても困るのよ』『めりけん留学奮戦記』など一つのネタになってしまったともいえるまくらは、高座でのお客さんとの対峙を何より大切にしてきた小三治の、独自の芸といえるのかも知れません。

映画の中で、鈴本演芸場の元支配人である富田氏のインタビューに「上下を切る(=つける)」という言葉が出てきます。これは落語を聞く上で、また演じる上でとても重要な要素といえます。客席から見て向って右が上手、左が下手となります。演者がどちらを向いて話すかということ一つで、客は、登場人物の人間関係、あるいはそれに付随した情景を想像することができるのです。「ご隠居さん、こんちは」と入ってくる八っつぁんは、必ず上手を向いて話し、「八っつぁんか、お入りよ」と答えるご隠居は、必ず下手を向いています。それと同時に隠居さん側に家があり、八っつぁん側が外であることも分かるのです。同じように、親は上手、子は下手、旦那は上手、番頭は下手、小僧や丁稚は下手、客は上手となるのです。このルールは落語というより、日本の舞台芸能、能や狂言、歌舞伎のルールです。花道のある下手側が街路であり、つまり道や外の世界に設定され、上手寄りには家屋があって、それと同時に上手奥には奥座敷や庭があるだろうと思わせます。ですから、訪問者は下手から入り、住人は上手で待つことになります。一切の舞台装置も衣裳も使わず一人ですべてを演じる落語では特に、上下のつけ方一つで、演劇的空間を表現し、登場人物の関係性を表すことになります。

映画の冒頭、「あくび指南」の噺のなかで、小三治はおもむろに扇子をくわえます。閉じた扇子の要あたりを口にくわえて、煙管に見立てる。煙管の持ち方くわえ方で、実生活に煙管がなくなった現代人でも、登場人物の立場や状況を想像することができるのです。また扇子は、煙管以外にも、箸になったり、筆になったり、そろばんや徳利に見立てられたり、広げることで盃になったり、あるいは扇子本来の使い方で夏の暑さを表現することもあります。扇子と同様に落語で重要な小道具の役割を果たすのが手拭いです。煙草入れに見立てたり、財布になったり、本や帳面にもなります。扇子と手拭い、どちらも特別なものではありませんが、演者同様一人(一つ)で何役もこなすのです。いずれにしても、落語は噺家の演技力と客の想像力が作り上げる芸といえるのかも知れません。